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【初めての傍聴のススメ】千葉地方裁判所で裁判の傍聴をしてきました。

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きっかけ

※前置きが長いので、裁判の話だけでいい方は「千葉地裁へ」から御覧ください

自分はフリーランスのライター(及びデザイナー)として仕事をしているわけですが、もともとは小説家志望です。小説を書いて公募の新人文学賞に応募するようになって、10数年が経ちます。20歳前後はいわゆる「純文学」を書いていましたが、ここ2〜3年はミステリーやファンタジーなどのエンターテイメント小説がメインになってきています。

それで、一昨年書いた『輪廻の月』という作品(未発表)が「横溝正史ミステリ大賞」で運良く最終候補に残りまして、最終選考の審査員である有名小説家4名から以下のような書評をもらいました。

有栖川有栖
『輪廻の月』は、人口五千人ばかりの町を支配する悪にリアリティがなさすぎる……と思っていたら、超人的なキャラクターが登場して、ファンタジーめいた様相を呈する。が、それが大暴れするでもなく、設定がどれも不発に終わった。何かになりそこねた作品という印象が拭えない。

恩田陸
『輪廻の月』は、スモールタウンの権力の盛衰を描いた物語である。あまりにも類型的な設定で、あまりにも類型的なキャラクター群だ。美作という人物が登場して面白くなるかと思ったが、あまり活かされていなかったのが残念。今のところ、話も文章も型どおりの域を出ていないが、妙なリーダビリティはあるので、もっとたくさん書いて自分のテーマを見つければうまくなりそうな気がする。

黒川博行
『輪廻の月』は小説が幼い。リアリティー皆無ともいえる。“五葉町の王”と称される人物が街に出ればあらゆる人間が頭を下げ、警察をあごで使うという設定だが、たかが建設会社の社長にそれはない。また、社長の息子がゾクの頭というのもマンガだろう。その息子が妙に繊細で、存在感がうすい。警察の描写にしても、刑事課長が署長以上の権力をにぎっていたり、警官が安易に銃を抜いて撃つなど、ありえない。作者は青春ハードボイルドを目指したのだろうが、あまりにキレが悪かった。

道尾秀介
『輪廻の月』が物語として一番楽しめた。ただし、こういった突飛な設定の話を書くには、まだ力量が足りていない。全体的に、画力のない人が描いた化物の絵のようで、“ここを怖がってほしい”という意図は伝わるのだが、その意図に応えるのに骨が折れる。こちらが労力を払うのは本末転倒だろう。

これは一部を抜粋したものですが、見ての通りの厳しい内容でして、特に「リアリティのなさ」については、皆さんに指摘される結果となりました。実際、『輪廻の月』を書くにあたっては、リアリティ強化の為の勉強や取材はほとんどと言っていいほどしていなかったんですよね。

ある小説家が「純文学出身の作家は取材や資料集めを面倒がる傾向がある」と言っていましたが、まさにそれ。調べ物をしたりどこかに足を運んで取材したりするより、家にこもってガリガリと文章を書きまくっている方がしっくりくるんですよね。そういう自覚があったので、この書評を読んで、「痛いところをつかれた」というか、「ぐうの音も出ない」というか、確かにそのとおりだなあと反省した次第で。

というわけで、これ以降はリアリティ強化、という部分にも意識を向けるようになりまして、たとえば先日新潮ミステリー大賞でベスト16に残った『雌梟の憂鬱』という作品の執筆にあたっては、舞台となる障害者施設のことをよりよく知るために、仕事で知り合っていたある社会福祉法人の理事長に頼んで、施設まで取材に行かせてもらったりもしました。

さて、そういうわけで、最近は以前に比べれば「リアリティ」に対する意識も多少は改善しているわけですが、たまたまネットで、「小説家志望の人間は裁判傍聴に行くべきだ」というような記事を読みまして。曰く、実際の裁判にはテレビや新聞で見る数十倍・数百倍の情報量があると。そもそも、本物の手錠をかけられた人間を目の前で見ること、犯罪を犯した人間の生の言葉を聞くこと、そういった経験が、(必ずしも裁判のシーンが出てくる小説でなくても)作品に「リアリティ」を与えるのだと。

それならちょっと行ってみようと思ったのが、今回のきっかけです。

千葉地裁へ

自分は千葉市に住んでいるのですが、調べてみると、千葉駅からもそう遠くない場所に、千葉地方裁判所・千葉家庭裁判所があることがわかりました。そのサイトの中に「見学・傍聴案内」というページがありまして、読んでみるとこんなことが書かれています。

・法廷で行われる裁判の手続は、原則としてだれでも見ること(傍聴)ができます。

・傍聴するときに、裁判所に事前に申し込む必要はありません

へえ。なんかちょっと意外じゃないですか? 誰でも、事前申し込みもなく裁判を見学できる。傍聴という制度があること自体は知ってましたけど、もう少しハードルは高いと思ってました。身元確認も事前連絡もないらしい。服装も自由だし、録音や撮影は禁止なものの、メモをとったりスケッチしたりするのはOK。裁判所に電話をすれば、どんな裁判が行われるかも教えてくれると。

ということで、早速千葉地裁に電話をかけて、総務課(だったかな)の方に裁判の予定を聞いて、千葉地裁に行ってみることにしました。

人生初の傍聴

そして7/27(木)の朝10時、考えてみれば生まれて初めて裁判所を訪れました(ちなみに千葉地裁には駐車場もあります。数に限りはありますが、無料です)。記事冒頭の写真がその外観。もうちょっと重々しい雰囲気を想像してたんですが、全然キレイ。調べたら、写真左側の新館は2009年に建てられたものみたいです。で、これ結構重要だと思うんですが、裁判所では館内の撮影が全面的に禁止されています。なので、コレ以降、写真はありません。

新館の入口を通ると正面に受付カウンターがあり(企業の受付と似たような感じ)、そこに男性二人が座っていました。向かって右側の比較的若い男性に「傍聴がしたいんですが……」と話しかけたところ、「ではまず、こちらのファイルを御覧ください」と、薄い青色のファイルを手渡してくれ、「ここに本日行われる裁判の内容が書かれています。こちらが民事、こちらが刑事」と、とても丁寧に説明してくださいました。電話の時も感じましたが、千葉地裁の方は本当に対応が丁寧です。

ファイルの中には10枚程度のプリントが挟まっていて、それぞれに裁判の時間・内容・部屋番号などが書かれてあります。「詐欺」とか「覚せい剤」とかいうドラマで見るだけの言葉が普通に並んでいて、内心「うおお」と思いましたね。その職員さんに「このプリントって、撮影してもいいんですか?」と聞いたら、「すみません、館内は全面撮影禁止なんです。メモっていただくのは問題ないですから」と言われ、それで初めて、撮影禁止のルールを知りました。

傍聴したい裁判を告げると、「ではあちらのエレベーターで8階に上がってください。開始5分前には部屋の鍵が開けられますので」と教えてくれて、言われた通り、エレベーターに乗りました。先述した通りキレイな建物なので、裁判所に行く、って感じは全然しません。むしろちょっといい企業に取材にきた感じ。「服装自由」という言葉に甘えてものすごくラフな格好(Tシャツに帽子にブーツ)をしていたけど、ちょっとだけ後悔しましたね。自由だけど、ジャケットくらいは着てた方がいいかもしれません(ちなみに裁判中は帽子は取らなきゃならない)。

この日傍聴した裁判

8階にのぼると、見学に来たらしい団体客が大勢いて、その列に加わるようにして法廷に入りました。中の風景は、ドラマとかで見るあれとまんま同じです。既に被告・弁護士・検察官・裁判官が座っていて、やがて奥から裁判長らしき方が現れて、特に前触れもなく裁判が始まりました。

今回は、脱法ハーブ絡みの事件で執行猶予中にあった被告(20代前半)が起こした「交通事故」についての裁判。被告はそのとき無免許で、また、執行猶予中だったことから、事故の発覚を恐れて現場から逃亡。後日身元が判明して逮捕された、ということでした。検察官が厳しい口調で事件の経緯を説明し、次に弁護士が情状酌量を訴える弁論をし、最後に被告自身の口で反省を述べ、最後に判決期日(判決が言い渡される日)を決めて、閉廷となりました。

と、こうして文字で書くとあっさりしていますが、ネットに書かれていた記事の通り、膨大な情報量でした。開廷から閉廷まで約40分ほどの間に、膨大な「事実」が明らかにされ、それを被告、弁護士、検察官、裁判官、そして傍聴人が、それぞれ違った立場で受け止める。その様々な感情の「うねり」みたいなものを、確かに感じました。

そのまま法廷を出ると、同じく10:00からやっていた裁判がまだ続いていたため、途中参加という形で傍聴席に座りました(裁判中は当然静かにしていなければならないのですが、基本的に出入りは自由です)。こちらでは、誤って男性を轢き殺してしまったトラックドライバーの裁判が行われていました。被告のドライバーは憔悴しきった様子で、終始うつむいて、何度も反省の言葉を述べました。

実はここで、僕はあることに気が付きます。傍聴席の隅に「関係者席」と書かれた場所があり、そこに数人が座っていました。そして厳しい目で、裁判を見守っている。そうか、と僕は思いました。そして少し、ゾッとしました。

「法廷で行われる裁判の手続は、原則としてだれでも見ることができます。」裁判所のサイトには、こう書かれてありました。

だれでも。つまり、被害者の遺族や、友達や、恋人も、ということです。

結局、関係者席にいた人たちが、遺族なのかどうなのかはわからずじまいでした。ただ、仮に自分が被害者の家族だった場合、裁判は絶対に見に来るでしょう。なるほど、裁判というのは「そういう場」でもあるのだと、初めて知りました。

間近で見た手錠

最後の裁判は、前の2件とは大きく雰囲気が違っていました。次はどの裁判を見ようかとフロアの中をうろうろしていると、廊下の角に、妙に厳しい表情をした職員さんらしき男性がいて、近づいてくる僕に声をかけてきました。「傍聴ですか?」その先でどんな裁判が行われるのかその時点では知らなかったのですが、不謹慎ながら好奇心が刺激され「はい」と答えました。でも、「ボディチェックがありますが、大丈夫ですか」続けてそう言われ、驚きました。前に見た2件では、そんなものはなかったからです。

とはいえ、チェックされて困ることもありませんので、大丈夫だと答えました。職員さんの指示に従って廊下を行くと、そこには警察官が数名、そして裁判所の職員さんなんでしょうか、五・六名の人が集まっており、そして、空港でよく見るゲート型の金属探知機が置かれてありました。カウンターテーブルに手荷物を出すように言われ、そこで、メモ帳以外の持ち物(スマホとか財布とか)を預けた上で、法廷に入りました。

傍聴席に座って間もなく、被告が入ってきました。正直、ギョッとしました。被告は三人の警官に囲まれて、手錠をかけられたうえ、腰紐(?)のようなものでくくられた状態だったからです。そのまま被告席に座り、そこで、警官に挟まれる形で座ると、手錠を外されました。

裁判の内容は、いわゆる「結婚詐欺」と呼ばれるもののようでした。罪状で言えば、詐欺罪と恐喝罪。検察官は女性ながら、(シンゴジラばりの)早口で被告の行ったことを説明していきます。恐らくこの説明だけで、20分以上あったと思います。途中、弁護士が「異議あり!」と言い、いくつかの点について訂正を求める場面もありました。

裁判の内容を事細かく書くと長くなるので割愛しますが、一点、つけ加えるとすれば、この裁判については、被害者の女性が傍聴席にいました。それがわかったのは裁判終了後、エレベーターを持っている際にその女性が話していた内容が偶然聞こえてきたからです。「さっきあの人が話してたこと、あれ、違うから」そう言っていたのが印象に残ってます。

まとめ

さて、というわけで、この日は3件(正確に言うと2.5件)の裁判を傍聴し、お昼12時過ぎに建物を出ました。外ではいつの間にか雨がパラついていて、滞在時間は2時間ほとだったのに、もっと長い時間が過ぎてしまったような感じがしました。でも、エンジンを掛け、道に出れば、そこにはいつも通りの町並みが広がっていて、さっきまでいた裁判所との、ある種の「断絶」を感じずにはいられませんでした。僕自身、36歳にして初めて裁判というものに触れたわけで、もし今回こういうことをしなければ、もしかしたら一生裁判所には縁がなかったかもしれない。でも一方で、被告や被害者、その関係者にとっては、法廷で行われていることこそが「現実」なのです。

今回、自分の小説の「リアリティを強化する」ために裁判の傍聴というものをしましたが、その目的以上のことを得られたと感じています。誰にでもオススメできるものではないと思いますし、犯罪についての話なので、あまりポジティブな印象は受けないでしょうが、できることなら一度、傍聴してみることをオススメします。大げさに言えば、「人間」というものが、よく見えると思うので。