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「遅刻する人」と「遅刻しない人」

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はじめに

「遅刻する人」と、「遅刻しない人」って、いるじゃないですか。この違いって、実はけっこう人間性の深い部分にまで関わっているような気がするのです。

基本的に、遅刻する人は「よく遅刻する人」だし、遅刻しない人は「絶対遅刻しない人」だという印象がある。「よく遅刻する人」の電車ばかりが遅延するわけじゃないし、「絶対遅刻しない人」は雨でも雪でもキチンと時間通りに(あるいは、約束よりずっと早く)やってくる。

もうひとつ考えてみたいのは、「他人の遅刻に対する反応」。他人の遅刻を許すか許さないか、怒るか怒らないか、ここにも個性が出るように思う。

ということで、「遅刻するかしないか」そして他人の遅刻に怒るか怒らないか、で」タイプ分けしてみることにする。

分けてみました

ということで、タイプ分けしてみました。

【Aタイプ】
自分がよく遅刻するくせに、誰かが遅刻してくると怒る人
(誰かが遅刻してくると怒るくせに、自分もよく遅刻する人)

【Bタイプ】
よく遅刻するけど、誰かが遅刻してきても怒らない人
(誰かが遅刻してきても怒らない けど、自分もよく遅刻する人)

【Cタイプ】
誰かが遅刻してくると怒るけど、自分は絶対に遅刻しない人
(自分は絶対に遅刻しないから、誰かが遅刻すると怒る人)

【Dタイプ】
自分は絶対に遅刻しないし、誰かが遅刻してきても怒らない人
(誰かが遅刻しても怒らず、自分も遅刻しない人)

という感じですね。

ちょっとそれぞれ考えてみる

【A】は、「自分がよく遅刻するくせに、誰かが遅刻してくると怒る人」。いや、そりゃあなた身勝手ですよ、という感じです。

で、ちょっと飛ばして【D】。この人は、「自分は絶対に遅刻しないし、誰かが遅刻してきても怒らない人」です。この人はAさんの逆で、神様みたいな人だなと。

【A】さんにしろ【D】さんにしろ、ちょっと特殊な感じがします。矛盾しているというか、理屈で考えると不思議です。数で言っても、それほど多くはないんじゃないでしょうか(そうでもないのかな)。

むずかしいのは【B】と【C】

難しいのは、【B】と【C】。

【B】は「よく遅刻するけど、誰かが遅刻してきても怒らない人」、【C】は「誰かが遅刻してくると怒るけど、自分は絶対に遅刻しない人」。

この人たちは、ある意味で一貫性があるわけです。

自分ができないことは相手にも強いない【B】さんと、自分が守っているのだから相手にも守ってもらいたい【C】さん。どちらの考えも、理屈としては通っているように感じます。

だからたとえば、【B】タイプの人しかいないグループも、【C】みたいな人しかいないグループも、たぶん、うまくいくのじゃないかなあ。【B】グループはゆる〜く、【C】グループはキッチリ。それぞれの心地よいルールの中で、やっていける気がする。

でも、だ。

【B】グループにやってきた【C】さんは、うまくいくか?
【C】グループにやってきた【B】さんは、うまくいくか?

いかないよなあ。

ここから本題

長い前置きでしたが、ここからが本題。なぜ自分がこんなことを書いているかというと、【B】と【C】のように、考え方や受け止め方が違う人と仲良くするにはどうしたらいいのだろう、と途方に暮れたからなのです。

今回の例で言えば、「遅刻くらいでカリカリすんなよ」という【B】さんたちと、「時間を守るのは当然だ」という【C】さんたちが、どうやったら仲良くできるのか、という話。

ここに解決法はあるのだろうか。

「我慢する」は解決か

すぐに思いつくのは、「どちらかが我慢する」という方法だ。

【B】さんが遅刻しても、【C】さんが怒るのを我慢すれば。
【C】さんが怒らないように、【B】さんが遅刻クセを直せば。

どちらかが、「本当の気持ち」を押し込めて、我慢すればなるほど、問題は起こらない。

少なくとも表面的には。

でも、我慢した方の心のなかでは、確実に何かが起こっている。それを続ければ、やがて耐えきれず破裂してしまうような、何かが。

「どちらかが」我慢するから、バランスが悪いのだろうか。「双方が」我慢すれば、それは解決なのだろうか。

わからない。

みなさんはどう思いますか

個人的には、それは「解決ではない」と思う。でも一方で、「それ以外に方法はない」とも思う。

「譲歩したり譲歩してもらったり、そのつどうまくやるもんだよ」

そう。その通り。でも、30代も後半に差し掛かったいま、この<問題>がとても気になる。会社をやめて、独立したから気になるようになったのかもしれない。

ひとつだけ言えるのは、これは別に「遅刻」だけの話じゃないということだ。

遅刻というのは単なる「たとえ」に過ぎない。どんなことだって、この4タイプが存在する。自分の周りには、自分と違う考え方の人が、どこだって、いつでも、いるのだ。

追記

この話をある方にしたことろ、「善意のお返しをしていくのがいいんじゃないか」と言われました。これは、Aさんから善意をもらったら、BさんでもCさんでもいいから誰かに1つ、善意をお返しするという考え方。必ずしも相手がAさんでなくてもいい、というところがユニークです。

「遅刻する人を遅刻しない人に変える」「遅刻しない人を遅刻する人に変える」という話とはまた別の話なのだけど、みんながこういう考えのもと暮らしていければ、誰かのために「我慢」することも、「いつかは自分に帰ってくる善意」だと納得できるのかもしれません。

ちなみにこの「我慢」というのがまた自分の中では大きな関心ごとで、いま「不機嫌」と「甘え」の心理 なぜ人は素直になれないのか (PHP文庫)という本を読んでいたりします。何気なく手に取った本でしたが、これがまたすごい。「不機嫌というのは、執着する相手への不満を表明できないときに起こる無言の敵意である」というような指摘に唸らされます。これについてもそのうちまた考えてみようと思います。